『白龍の神子 お前も お前の守るべきものを守った・・・か』
『それで・・・ お前はどうする? 意思は変わらぬのだろう』
『変えるつもりはない あなたの持つ白龍の逆鱗は、私が私の龍に託されたもの』
『過ちのために、使わせるつもりはない、か?』
『私が正しいとは思っていないよ』
『自分の守りたいもののために 私も剣をふるう』
『きっと・・・私はあなたと何も変わらない』
「・・・・・・」
(何が正しいのかなんて・・・一生 判らないんだろうな―――)
「神子様、お寒う御座いませんか?」
船の甲板に出て、ジッと遠くを見詰めていた望美に、
銀は持ってきた上掛けをそっと肩に掛けてやりながら声をかけた。
「あ、銀」
そして、銀を見て望美はくすりっと笑ってしまった。
「何か・・・?」
「ごめん・・・その格好で、神子様って言われるのが何だか不思議で」
「あぁ・・・そう・・ですね。 どうお呼びして良いのかと、少々迷っておりました」
銀は、はにかみながら望美の頬にそっと手を伸ばす。
「貴女が宜しければ、異界へ行くまでは十六夜の君と・・・御呼びしても宜しいでしょうか?」
「うん あ・・・将臣君に変に思われない・・・かな?」
「兄上はきっと深くは考えないでしょう」
確かに・・・。別段呼び名が違ったとしても、呼びやすければ何でもいいんじゃないか?
とでも云いそうだ。
合点がいって、上を見上げたら瞳がかち合って二人笑い合った。
「頬が随分と冷えております。 少し中で身体を温めた方が宜しいかと」
先程までは気にならなかったが、そう言われると身体がブルリと震えてくる。
「うん、そうだね まだまだ先は長いもんね」
「えぇ」
そうして二人、船内へ入っていった。
「お 来たな」
「ん? 何かあった?」
「いや、急な話だったわりに、ヒノエが用意周到にしてくれたみたいでな」
そういって、温かいお茶を出してくれた。
「わぁ! お茶だ!」
「中国茶か? 久しぶりに飲むとやっぱり落ち着くなー」
今度は白龍が微笑んで望美を手招きした。
「神子、こっちに甘いお菓子もある」
「え!本当? どれどれ?」
「これは、宋からの品なのでしょうね」
そう言えば以前、他国と貿易をしていると聞いた気がする。
「平家も以前は宋と関わりがありましたので・・・これなども見覚えが御座いますよ」
「こんなに良くして貰ったのに、全然お礼云えなかったな・・・」
「何かお礼出来れば良いんだけど・・・時間も有るし文でも書いてみようかな?
ねぇ、銀。 書き方とか教えて貰えないかな?」
その言葉に、銀はジッと望美を見詰めた。
「・・・・・・」
「銀?」
「私に贈って下さる文ならば快く御受け致しますが、他の男の為に・・・となると如何なものかと」
口元を着物の袖で隠し、優美に俯く様は、平安絵巻から飛び出したまさに貴族のそれにしか見えない。
そんな銀に望美は顔を真っ赤にしておろおろするばかりで、見兼ねた将臣は茶々を入れた。
「茶化してねーで、暇なんだからやってやれっつの」
大げさに落胆の顔を見せて、
「はぁ しようがないですね。」 と銀は呟いた。
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平泉を出航して数日が経ったある夜―――
月と星が行先へと導く中、銀は一人甲板に降り立ち、水面を覗き込む。
懐から綺麗に折り畳まれた和紙を取り出し、そっと水面へと落とした。
そうすると、折り畳まれていた紙はばらばらと風と共に広がり暗い海へと滑り落ちていった。
暫く経って、銀はそっと掌を合わせ何かを呟いていた。
眠れず起きてきた望美は、その光景を神妙に見詰めていた。
波の揺れで体勢が崩れた事で、姿勢を立て直そうと足を動かしたら、
思いの外ギシリと床は軋んでしまった。
静かに顔を上げてこちらを見られてしまえば、バツの悪そうな表情で御免なさいと謝るしかなかった。
「・・・私には、これ位の事しか出来ませんので―――」
「あの・・・見ようとして見たんじゃないの・・・本当に・・御免ね」
その言葉に銀は首を振り、貴女は悪くないと弱弱しく微笑んだ。
寂しげな銀を見ると、ここ数日の『重衡』が嘘の様に思えた。
「・・・・・」
どう言葉を掛けて良いのか判らず、そしてこの場を去る事も出来ず途方に暮れ始めた頃
銀は望美を手招きして、近くに二人で並んで座った。
寒くないかと自分の上掛けを渡そうとすると、望美は首を振って制したが
銀は風邪を引かれてはと譲らない。
それではと、二人一緒に上掛けに包まれた。
何時もなら、恥ずかしくて避けてしまいがちになるが、今の銀を一人にしたくなかった。
傍で少しでも良いから、支えて上げたかった。
「自分の昔の罪〔ざい〕を・・・少しでも償いが出来れば・・・と―――」
教えて貰った写経というもので、尊い命を奪った事を悔いて弔っていたのだと教えてくれた。
「・・・・っ」
「銀は・・・・偉いね・・・」
「なにが・・ですか?」
望美の言ノ葉に不信感を抱き、尋ねて見るも俯き押し黙ってしまった事に、眉を顰める。
諭す事もましてや怒る事も出来ず、ただ時間が流れて行った。
「私・・・・わたしは・・・」
何か必死に言葉を紡ごうとしているが、喉の奥が乾いて云う事を利かないような望美の雰囲気に
銀は優しく背中を撫ぜ、落ち着かせた。
「無理をしなくても宜しいのですよ」
そう言ったものの、望美は俯きながら首を振り、何かと葛藤し続けていた。
それから暫く経って、聞き取るのもやっとと云う位の小声で望美は呟いた。
「銀は・・・・時空〔とき〕を・・・越えるなんて事・・・信じられる?」
その言ノ葉に一瞬思考が止まったが、よくよく考えてみれば明確になる事があった。
「えぇ もちろんで御座いますよ」
「・・・え?」
その返答に、不意を付かれたように望美は俯いていた顔を上げて銀を見詰めた。
「? 何故、驚かれるのでしょうか」
「だ、だって・・・こんな事言ったら、普通 馬鹿にするか頭が可笑しいのかって思うんじゃ・・・」
「十六夜の君は憶えておられませんか? 私との初めての逢瀬を―――」
「忘れるわけ・・・ないよ」
その言葉に微笑みながら、銀はゆっくりと頷いた。
「私は一つ、記憶を得てから疑問に思っておりました。
兄上・・・将臣殿は、貴女がこの地へ降り立つよりも三年も前から居られたと。
しかし、私が十六夜の君とお会いしたのは、将臣殿が平家に来られて直ぐの事―――
これで理由が解りました」
「あ・・・そ、そうか・・ でも・・・驚かない・・・の?」
「確かに、今聞いた時は驚きましたが、既に時空を越えてこの地へと降り立っている時点で、
これ以上驚く事もないかと」
自分が必死に隠し通していた事を、易々と受け容れてしまった銀に、
望美は一気に脱力感が襲ってきて、望美はコトリッと銀に寄り掛かった。
「はぁ・・・銀のその順応の良さに、私の方が吃驚しちゃうよ。
今まで必死に隠してたのが馬鹿らしく思えちゃうくらい・・・」
「十六夜の君の御心が、私の言ノ葉で和らぐのであれば、幾らでも貴女の言ノ葉を受け容れましょう」
簡単に自分の言葉を信じようとする銀に、眉根を寄せて訴えた。
「銀・・・わたしそんなに・・・」
「貴女は嘘が付けません。 特に私には・・・ね」
「・・・っ」
全てを言い終える前に、銀は自分の想いを口に突く。
そして、予想もつかなかった言葉が返って来た。
「其れと同じように、私も貴女には嘘がつけないようです」
「え・・・?」
「貴女には真実をお伝えしたい。
ですから、私が今後 奇妙な行動に出たとしても、私を信じて頂きたいのです」
「それは、平家に戻ったときの事?」
「はい。 貴女と平泉で交わした言ノ葉に嘘偽りは御座いません。 ですから、私を――」
「信じるよ。 私を信じてくれる・・・うぅん 今までもずっと信じてくれた銀を、裏切ったりなんてしないよ」
銀を疑った事が仇となった事があった。 彼は何時も自分に真摯に向き合ってくれていた。
それは今も昔も・・・そしてこれからも変わらないだろう。 ならば、私が信じなくてどうする。
望美も、銀にその先を言わせまいと言葉を重ね、真摯な眼差しで銀に想いを伝えた。
「有難う御座います。 その言葉だけで、私は強くなれる。
・・・貴女ともう一度会いたいと、強く願ったように」
満月が優しく見守る中、望美は自分のこれまでを語り始めた。
「私は・・・苦境に立たされたら、時空を越えて逃げてきたの・・・逃げて 逃げて・・・」
「自分の都合の良い道を探して進んできただけなの・・・他の人の事なんて省みないで・・・」
何もしないで居る自分はこれで良いんだろうか。
悪びれた様子も無く、生き続けているのは良いのだろうか・・・
先程の銀の人を尊ぶ姿を見て、自分は何て浅ましいのだろうと思ってしまった。
「私はその様には思いません。」
そう思っていた望美に、銀は否定の言葉を返した。
「え?」
「貴女を見ていれば判ります。 逃げられるのならば・・・
お一人で元の世界へ戻っていたのではありませんか?」
「・・っ!?」
その言葉に望美は驚き、瞳を大きく見開き思わず銀の袖を強く握り締めていた。
「一人、誰にもその真実を語れず、悩み続けながら最善の道を見つけて歩んで来られたのですね」
優しい瞳で・・・優しい手で頬を撫でられ、気付かぬうちに望美は涙を流していた。
「わ・・・私よりも皆の方が・・・つらか・・っ」
その言葉を聞いている途中で、銀は望美を掻き抱いた。
何故この人は、自分を軽率に扱うのか。 皆の方が大事だと・・・何時もそうだった。
皆の為に無力になる自分が悔しいと。
そんな事は微塵もないのに、この小さく細い身体で、どれ程の事に一人立ち向かってきたのだろうか。
どんなに辛かった事か、想像も出来ないほどに大変な事をずっとしてきたのだろう。
優しく頭を撫でて、どうか少しでもこの心優しい少女を癒せればと・・・その考えしか思い浮かばない。
「銀も・・・重衡・・さんも・・・苦しい思いをしてきたんだよ・・・ね」
その言葉には頷かず、ただずっと優しく抱きしめ続けた。
「二人でこの気持ちを分かち合えれば・・・少しは心が安らぐ事も出来るかな・・・」
「えぇ 貴女がそれを罪と云うのであれば・・・私達は罪を犯したもの同士、
他の方とは違う思いを分かち合う事が出来るかもしれませんね」
「私はそれよりも、貴女の苦しかった思いを少しでも和らげる存在になり得たい。
そう思えてならないのです」
「そんなの・・・もう、ずっとずっと前からだよ・・・」
先程の話からして、何時の頃からなのか判らない。
微笑みながらも首を軽く傾ける銀に、望美は恥ずかしながら答えた。
「銀に・・・平泉に降り立ったのはもう四回目・・・初めて会った時から、ずっと私を支えてくれていたよ」
「会うたびに・・・好きになっていったの」
「・・・っ 十六夜の君―――」
何時もなら、なかなか恥ずかしがって言ってはくれない言ノ葉を、易々と紡いでくれる。
「今も・・・きっとこれからも、もっと銀を知るたびに好きになっていくよ」
「私は・・・己に嫉妬しておりました・・・」
「え?」
「銀であって、貴女の仰っていた『銀』ではないのでは、と・・・
どうすれば、貴女の想い描く『銀』になれるのかと」
「そう、ずっと考えておりました」
「しろがね・・」
「どんな私でも・・・愛して頂けますか?」
頬を両手で包まれ、唇が触れ合うか触れ合わないかという間近で見詰められ、
そんな言葉を言われてしまえば、一気に心臓が早鐘を打つ。
「っ! 吃驚・・する・・・事も・・・あるかもしれない・・・けど、嫌いになんてなれないよ」
見詰め合い続ける事が恥ずかしくて、甘えるように銀の胸に縋る望美が、愛しくてしようがない。
この溢れ出てしまいそうな想いを直ぐにでもぶつけてしまいたいが、純粋な心にそれも敵わない。
「愛しております・・・恋うております。 十六夜の君、貴女だけを永久〔とわ〕に―――」
そうして、どちらともなく口付けを交わした。
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「あ 将臣君」
「・・・そろそろか」
「そうだね」
甲板から海へ視線を向ける。
大分南へと進んできたようで、海の色合いも変わってきていた。
「やっぱり南国はいいなぁー」
なまった身体をほぐすかの様に、腕を伸ばして将臣は楽しげに語る。
「そう言えば、以前から云ってたよね」
「あぁ 結局、修学旅行じゃ潜るっていっても高が知れてたからな」
「江ノ島と違う?」
「お前・・・全然違っただろ?」
訝しげに見られたが、望美はきょとんとしながら想い返す。
「うーん・・・海の中で遊んではいたけど、海が透明で綺麗だなーって思ったくらい?」
「・・・沖縄まで行ったのにその発言は勿体ねーなぁ・・・スキンダイビング、お前もすりゃーよかったのに」
「そんなに良いんだ」
「ったりまえだろ? これが判らないだなんて、人生大分損してるぜ?」
「えー?」
そんな他愛無い会話を二人のんびりと交し合っていた。
「将臣君・・・あのまま平家と一緒に残ろうと思った事もあったの・・?」
「そうだなぁ・・。 お前らが源氏って知らなければ、そうだったかもしれねーな」
「え?」
「お前らともう一度再会しちまったから、戻れないと思ってたのが戻れるかもしれないって。 思うだろうが」
「あ・・・あぁ うん・・・」
「別にどちらでも良かったんだと思うぜ? こっちの生活も流石に四年以上居りゃ慣れたもんさ。
だが、親が気になるのも事実だしな」
「・・・将臣君」
「お前だってその為に、平家に行くんだろう? 重衡を最後に両親に会わせる為に」
「・・・う、うん・・・」
本当の事なんて言えない・・・清盛を倒しに来ただなんて・・・。
「ん? どうかしたか?」
「え? えっと・・・重衡さんも、将臣君みたいに離れがたくならないかなーって・・・」
「それはないだろうな」
「どうして?」
「そりゃーあいつ見てれば良く判るぜ」
「?? 見てれば?」
「ま、お前にはわかんねーだろうなぁ〜」
「ちょっと何よー 何でそこで濁すのよ!」
「たまには自分の頭で考えろってーの ったく、見てて厭きれるぜ」
そんな将臣に、望美は腕を振り上げて抗議をする。
だが、本当に怒っているわけではなくて、何時もの二人の何気ない戯れで
どちらともなく笑いあい、じゃれ合っていた。
幼馴染特有の雰囲気を纏って、二人会話が弾む。
そんな光景を、物陰から重衡は見詰めていた。
「銀、どうしたの?」
「白龍殿・・・神子様は本当に皆に愛される方ですね」
その言葉に、銀が先程視線を寄せていた方へと目を向ける。
あぁ、と納得したように微笑んで白龍は語る。
「うん。 私の神子は誰からも愛される。 自慢の神子だよ」
「あの笑顔が、皆を幸福に導いてくれたんだ。 これからもきっと、ずっと」
「えぇ 私もそう思います」
「私は神子と銀が幸せになる事を望んでいる。 神子がそれを望むから―――」
その言ノ葉に白龍へと視線を向ける。
「判るのですか?」
「うん。 とても優しい気が二人の間に流れているから」
「有難う御座います。 白龍殿にそう言っていただけるのならば、
安心して神子様のお傍に居られそうです」
「でもどうしたの? 物陰に隠れて・・・二人のところへ行かないの?」
「ふふっ 行きたいのは山々ですが、あの雰囲気を壊してしまうのも悪いと思いまして」
白龍はもう一度二人に視線を戻すと、何時もとは違った微笑みの神子が垣間見えた。
「そうだね。 二人も落ち着いた気が流れている」
「えぇ 船内に戻りましょうか」
「うん。 神子達の為にお菓子とお茶を用意しておこう」
「そうですね」
そう言って、二人はその場を後にした。
+++++++++++++++++++++++++++++++
「あぁ、言い忘れていましたが兄上」
「ん? 何だ?」
「折入ってご相談が――――」
上陸の間際、白龍も一緒にと思ったが流石に清盛と会わせるのは不安が残るという事で、
申し訳ないが、良いと云うまでは船に残ってもらう事にした。
「御免ね白龍。 ここまでついて来て貰ったのに、待っていてなんて・・・」
「ううん。 神子がそう望むなら、私はここで待っているよ」
「私の気も大分満ちてきている。 龍に戻っても良いくらいだ」
「えっ?! そ、そうなの?!」
「うん。 でも神子は私も一緒に来て欲しいと願った。 だからまだ傍に私も居ようと思った」
「そっか・・・御免ね、気付けなくて。 ありがとう、白龍」
首を振って白龍は微笑んだ。
「私もそれを望むから」
何時も純粋に言われる言葉に、まだまだ慣れない望美は、
傍に銀が居る事もあって恥ずかしくてしょうが無い。
「う、うん・・ありがとう。 じゃぁ早めに戻ってくるようにするから、大人しく待っていてね」
「判った 三人の帰りを待っているよ。 気をつけて、いってらっしゃい」
平家の拠点への道すがら、眉間に皺を寄せて死ぬ覚悟でも決めたような顔つきの望美に、
将臣は思い出したように言った。
「そんな硬くなんなよ。 重衡の母親には一度会った事あるだろ?」
将臣の言葉に、寸の間 望美は呆けた。
「・・・えぇっ?! 戦場で会ったっけ??」
「ほれ、俺が京から去る時に助けた奴が居ただろ? 安徳帝と尼御前。 正式名は平 時子」
母上とお会いしていらしたのですね。と、ニコリと銀は望美に微笑んだが望美は半ば呆然としていた。
「そうだったんだ・・・。 わ、私 失礼な事してなかったかな・・・」
サッと望美は血の気が失せる。
「っぷ。 今更そんな事考えたってしょうがねーだろ。 ま、強気な女には見られたかもな?」
「なっ! 酷い将臣君!」
「あっはっはっはっはっ!!」
豪快に笑らわれ、少し緊張が解れた望美達は平家の新しい拠点へと足を進めた。
2014.07.12
後記
多分この平泉〜南の島篇は、番外編を幾つか書こうと思っています。