終焉



翌日、目覚めた時には既に銀の姿は無かった。


昨日着せてもらった着物を着ようか、それとも何時もの服装にしようかと悩みながら
結局、着慣れぬ着物を着る勇気もなく、
 陣羽織を着けない状態の格好ならば良いだろうと、算段をつけて身支度を整えた。

何処に行けばいいのかすらも判らない状態だと、部屋から出歩いても良いのか不安にもなる。
考えあぐねいて居たら、スーッと戸が開いた。
振り返ると其処にはきちんと身形を整えた銀が、ゆっくりと瞬きをして微笑んでいた。
「もう、御目覚めになっておいでで御座いましたか?」
「あ、銀 おはよう。 これでも・・・って、きっと起きるの遅い方だよね。 ごめんね」
時間の感覚が流石に分からない。 
今が何刻なのか判らず、銀はきっと私よりもずっと早くに仕度を済ませて居ただろう。
起こしてくれれば良いモノの、何時も自分を甘やかすのが得意な事を理解している望美は銀に謝っていた。
「いいえ。 まだ寝ていらしても大丈夫で御座いましたよ。
寝顔を拝見出来るかと、期待しておりましたが・・・」
「な・・・っ」
その言葉に顔を火照らせながら、困った顔を返すと、戯言ですと何時もの様に返されてしまった。

何せ昨日は久々の長い酒宴だったようですから―――。
そう付け加えられて、何となく察しがついた。
そして此処は敵の居ない南の島だ。
以前の様な宮中への仕えなどがないので、みな案外と時を気にせずのんびり過ごしているのかも知れない。
「まだ朝餉の支度が整うまで、半刻ほど掛かりそうですよ」
何時も、平泉では自分が起きるか起きないかの瀬戸際での朝餉の仕度との戦いだった気がする。
朔が起こしに来る頃までに起きれれば、朝餉より半刻程前。
譲君が起こしに来る時は、朝餉直前・・・いや、既に朝餉が調い皆が席に着こうとしている頃だ。
そんな不甲斐無い自分を思い起こして、はぁー と、何気なく溜め息を尽いたら
そっと頬に手を宛がい前髪を掻き上げられ、間近で不安げに顔を覗きこまれていた。
「っ しろ・・がね?」
「昨日夜分に起こしてしまったので、お疲れでしたでしょうか」
それとも、平家へ着た疲れが出てしまいましたか? 
と、申し訳無さそうに尋ねられた言葉にハッとし、急いで首を振った。
「ち、違う違う! 平泉では朝寝坊ばっかりしてたなって、思い起こしてたら溜め息出ちゃっただけだよ」
その返答に、寸の間沈黙が落ち 瞳を瞬いたかと思ったら、クスッと銀は声を立てて笑い出した。
「フフッ 旅立つ時もそうで御座いましたが、神子様の肝の据わり様には、感心するばかりで御座いますよ」
「そ、そんな事でお願いだから感心しないで・・・っ」
自分の不甲斐無さに、笑われるのはどうかと思うが、それを度胸が据わっていると思われるのも如何なものか。
眉根を寄せて睨みたいところだが、あまりに楽しげに笑う銀を見ていたら、つられて笑っていた。

「さて・・・と。 朝餉の後の事を少しお話致しましょうか――――。」
笑いも一段落着いた後、銀はスッと表情を引き締め紡いだ言葉に、望美は頷いた。

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今此処に集まっているのは、清盛と惟盛、そして重衡に将臣と望美の五人。

そして話の内容は、耳を疑いたくなる様な内容であった。

「昨日 重衡と二人で話しおうてな。
  お主にも耳に入って居ろうとは思うが、神子の力を我らに貸してくれるか? 
 ・・・厭。重衡と夫婦になるのだ。 貸さぬという方が可笑しいか?」
含みを持たせながら、言葉を吐く清盛を見詰め、そして重衡にゆっくりと視線を移す。
 その表情には何時もの優しい微笑が覗える。
だが、聞いていない。 何も・・・望美は重衡から聞いていない。
ただ、朝餉の後に数人で話し合う事は聞かされていたが、内容なんて一言も聞いては居なかった。
ゴクリと唾を飲み込む音が、自分以外にも聞こえたのではないかと思うほど、緊張の糸は張詰める。
これは―――試されているのは分かる。 が、何も重衡にまで試されるとは思いもよらなかった。

ゆっくりと息を吐き・・・吸い込み、言葉を選んで呟いた。
「貸す・・・と言うのは、一体どの様な事に対してでしょうか・・・」

その返答に、清盛はピクリと眉を動かし、理解の浅い者だと罵る様に惟盛は扇子を広げて溜め息を尽いた。
清盛はチラリと重衡を見たが、微笑みを変えぬ我が子の意図は汲み取れぬと悟り、
 先程よりも、具体的に言葉を発した。
「それはもちろん、決まっておろう? 平家がまた京に返り咲く為に、お主の力を貸してくれと言うて居るのだ」

――やはり。 そう云う事なのだと理解した。
 しかし、重衡がこの先どう動こうとしているのか全く読めない望美は、
此処でどの様に返答すれば良いのか躊躇した。

暫くの沈黙が過ぎた時、将臣が沈黙を裂いた。
「――重衡 お前、あの時 泰衡になんっつったよ。 平家は手を出さないって云わなかったか?」
「確かに」
「だったら!」
将臣はバンッと畳を叩いて重衡と対峙したが、
重衡は面を下げてスゥッと息を尽いたかと思ったら、表情は冷酷に・・・蔑む様に将臣に向けられた。
「――確かに申し上げましたが、それは平泉に関してです。 京や源氏に手を出さないとは申しておりませんよ」
さらりと絶望にも似た言葉を重衡は将臣にぶつけたのだった。

流石に将臣は、寸の間 言葉を失った。
 これまで自分が信用して、何より望美が信頼して居た者の発する言葉とは思えなかった。
「っ・・・! 重衡・・・見損なったぜ。 望美!こんな奴の傍にお前は居たいと思うのか?!」
ハッと将臣の言葉で望美は我に返った。
でも―――・・・ この雰囲気・・・やっぱり兄弟なのだと思う様な、
 背筋の凍る様な雰囲気を纏わせる重衡をみて、望美は別のところで心を戸惑わせていた。
兎に角、重衡と将臣のこんな小競り合いを聞きたくはなかった。
そして、自分が望んだ事でこの様に二人が言い争ってしまっているのが居た堪れない。
だが、ここで重衡を一人にする訳にはいかない。
自分の往く先は自分で切り開く―――。
その為に自分はこの道を選んで遠くこの地まで来たのだから。
そうして来た自分を違えてはいけないと、胸の前で握っていた掌をぐっと握り締め、
 心の中で本心を云えぬ将臣に謝った。
「ごめんね・・・将臣君。 私は銀の・・・重衡さんの傍を離れたくないの」
「っ・・・望美。 源氏と・・九郎達と共に過ごしてきたお前が、簡単に仲間を裏切るのかよっ!!」
「ごめん・・・ごめんなさい」
震える手を何とか押さえようと、左手で右手首を強く握り締めていたら、ふわりと衣に包まれハッとした。
「兄上。 十六夜の君を責めないで頂きたい。 私を想って言って下さっているのですから。
 責めるのは私だけにして下さい。」
包み込む腕はとても柔らかいのに、重衡の言葉は望美の胸にトゲを刺すものだった。
「はっ! 流石は平家人だな。 助けた甲斐があったかすら判らなくなってきたぜ!」
「将臣君・・・」
こんな事なら理由〔わけ〕を将臣君にも言って置けばよかった―――。
自分を責め悔やむ表情を見せる望美に気付いた重衡は、そっと胸の中に抱き寄せ
望美にしか聞こえないだろう小さな声音で『申し訳御座いません』と囁いた。

「俺は此処を離れさせてもらう。 もう平家とは一切関わらない。」
「えぇ。 兄上は元はと言えば異世界から要らした方、今まで平家に尽くして下さった事は
  心より感謝申し上げます。 この先は、私達だけで歩んで行きますよ」
「あぁ。 じゃぁな」

そういって、こちらを一瞥して将臣は白龍の待つ船へと歩を進めた。


途中で平家の者にどちらへ行かれるのかと尋ねられ、
 そっけなく「此処を離れる」と、歩みを止めずに言うと
驚いた家人は将臣を追おうとしたが、その前に上位の者に伝える為にとその場を走り去っていった。


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「邪魔者は居なくなったな。」
「さように――」
淡々と陳べる重衡のその言葉に、望美の心は逡巡した。


「では、今後の話でもするかのぅ」

「父上、その前に一つよろしいでしょうか」
「うん? 何だ、改まって」
「私が平家を率いる事をお許し願えた証として、黒龍の逆鱗を見せては戴けないでしょうか」
「・・・ふむ。 そうだな、今の平家にはあまり力は残っておらぬ。
  これをお主に託し、働いてもらうのが良いかも知れぬな」
「有難う御座います」

「お、お待ち下さい!」
今までずっと後ろで成り行きを見守っていた惟盛は、慌てて声を挙げた。
「ん? なんだ惟盛」
「本当にそんな簡単に、この者を信用して良いのですかっ?!」
この発言に清盛は眉根を吊り上げ、惟盛を睨み据えた。
「私の息子を愚弄する気か?」
「・・っ そ、そう云う訳では・・・」
悔しそうに頭を垂れる惟盛の肩に、重衡はそっと手を添えて答えた。
「では、惟盛殿もご一緒にご覧になられては如何でしょうや?
  託されるのは、戦場に向かう時のみで結構ですしね」
「・・・そ、それならば・・・」
二人の言葉に清盛も満足そうに頷いた。
「では、二人・・・いや、おぬしも見るか?」
そう言って視線を向けられた望美は少し迷いながらも頷いて、
 少し後ろでその成り行きを見守った。

清盛は懐から黒く輝く宝石を取り出した。
「こ、これが 黒龍の逆鱗・・・」
「これさえあれば、死人を簡単に操る事も、――天地を操る事も造作もないわ」
「天地をも・・・」
その言葉にごくりと惟盛は喉を鳴らした。
「とても美しく光輝いておりますね。 父上、触れてもよろしいでしょうか?」
重衡は、変わらぬ様子で淡々と清盛に話しかける。
「構わぬぞ」
その言葉に頷いて、右手に左手をそっと添えて、重衡は逆鱗を手にした。
と、次の瞬間直ぐに左手を袖から出したかと思ったら、
 短刀をそこに携えており逆鱗目掛けて刃を振り下ろしていた。
望美にもあっと云う間の出来事で、自分で望んだ事だが驚きを隠せなかった。

「なっ!!? 重衡っ!!! お前ぇええっ!!」
いとも容易く黒龍の逆鱗は砕け、黒々とした渦が辺りを飲み込まんばかりに勢いづいて迫ってきた。

重衡は直ぐ様 逆鱗を清盛と惟盛に投げつけ、懐から預かっていた白龍の逆鱗を手にして後退した。
必死に逆鱗を持つ手を前へ翳しながら望美を庇い必死にその場から遠ざかる。
一層周りを飲み込む渦は大きくなり、部屋は崩れて今にも二人に襲い掛かってくるようだった。

「貴方はっ! ご自分がなさった事を分かっておいでなのですかっ!!」
飲み込まれてなるものかと、必死の形相で重衡を睨みつけながら惟盛は罵倒する。
「えぇ 十分に分かった上での事に御座いますよ。」


「この様なこと・・・この様な おためごかしが許されるとでも思うてかっ!!!」
必死に抗おうと幼い手を伸ばして何とか逃れようとする様を、
  震える望美に見せぬよう、聞こえぬように重衡は一層 胸に包み込み、
 こちらも必死に渦に飲まれぬ様に後退しながら言葉を投げた。
「其れを思うは現世に生きる者が考えること――― もう、あなた方がお考えになる事では御座いません」
「・・・っ 重衡・・・めっ 父にこの様な事をして・・っ  あぁああああああっ!!!!」

黒い渦に飲み込まれ、二人は息絶え絶えに消えて行った。
「・・・くっ」
重衡も踏ん張ってはいるが、あまりの風圧に必死に抵抗するが何時までこの状態が持つのか分からない。
このままでは二人とも飲み込まれる―――。
 そう思った瞬間、重衡は望美を突き飛ばし、その場から遠ざけた。
「うぁっ!? 銀!!!」
ハッとして、すぐさま銀の方へと駆け戻ろうとしたが、風圧でそれもままならない。
見る間に銀は渦へとずるずると引き摺られていく。
このままじゃ銀が―――っ そう思った時には、口が動いていた。
「銀! 白龍の逆鱗を捨てて!」
「しかし・・っ!」
「いいの! 大丈夫、私を信じて!」
「っ・・えぇ 判りましたっ」
望美の確信した顔を見て、逆鱗を渦の中心へと投げ込んだ。
と、見る間に渦は天高く昇って行き、雲を尽き抜け上へ上へと駆け抜けていった。


その為風圧は増し、反動で銀は後ろへと吹き飛ばされ近くの木まで吹き飛ばされた。
「が・・はっ・・・」
どこかを強か打ったものの、何とか立ち上がり望美の元へ・・・と、もがいていたら、
 欄干を身軽に越えて、走り寄った望美がそっと支えてくれていた。
「十六夜の君、お怪我は・・・御座いませんでしょうか」
「私は大丈夫だよ。 それより銀の方が――」
私は大丈夫だと、重衡は微笑んで見せた。

暫く二人、空を仰いで見ていると、黒い龍が雲間から胴をちらりと覗かせるのが見えた。
「あれは・・・黒龍―――?」
すると今度はもう一つ、白く輝くうねりが遠くから見えた。
「白龍!」


重衡と望美は空を見上げ、周りが静まり返りようやく終わったのだと一心着いた。

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「お、おいっ!?  何が起こったんだ?!」
程なくして、息を切らして全力で走ってきた将臣が、二人の元へと駆けつけた。

重衡は将臣を振り返り「父上と惟盛殿を滅しました。」と、軽く答えただけだった。
「な・・・・っ」
その返答に、将臣は流石に言葉を失い呆然と立ち尽くした。

「十六夜の君。 これで大儀は成し遂げられたでしょうか」
その言葉に呆然としていた望美だったが、意味を理解し頷いたのを見て、重衡は安堵の溜め息をついた。


崩れかけた邸から出て空を見上げると、白龍と黒龍が雲の狭間を駆け抜け天へと高く高く昇る姿が見えた。
やがて、二つの龍は絡み合い一つの輝く龍に姿を変えていった。
「・・・あれが・・・応龍―――」
二人の目線を追って、将臣も空を仰ぎ見てその光景に息を飲んだ。
「応・・・龍・・・? まさかこの為に・・・戻ってきたのか・・・?」
「えぇ」

二人は晴れ晴れとした顔で空を見上げていたが、将臣は渋い顔で二人を見ていた。
「ほんっっっとに お前は悪趣味だな。」
嫌味を言われたのに、重衡はニコリと微笑んで言葉を返した。
「敵を欺くには先ず味方から・・・で、御座いましょう?」
兄もそうだったが、この弟も相当な・・・いや、兄以上に曲者だと改めて思い知らされた。

「ごめんね銀。辛い想いをさせて」
「いいえ。 神子様のお役に立てたのであれば、これ位 雑作も御座いません」
「ぞ、雑作もって・・・」
流石に、父親と惟盛に対する重衡の取り付く島のないような言葉に望美は肝が冷えた。

「して兄上。 もう我々と共にはしないと申しておりましたが」
「おまえなぁ・・・」
「ふふっ 戯言です。 兄上とは、気が置けない仲だと思っていたのは私だけでしたか」
「お、おま・・・っ そう云う恥ずかしい事さらっと言うなよ!」
「あー 将臣君珍しく照れてる〜」
顔を逸らした方には望美の顔があり、ニヤニヤ顔で言われる。
「のーぞーみー? 元はと言えばお前らがちゃんと俺にも言って置いてくれればよかったんじゃねーのか?」
ン? と、詰め寄られてしまえば 望美もバツが悪い。
「あ・・あはははは」
「私が申し上げていたのですよ。 
  兄上は平家の事を知り過ぎておりますゆえ、敏い方に知られると不味かったのですよ」
「だからってお前だけが、わざわざ犠牲になるようにしなくても良かっただろうがっ!」
「勘違いなさってもらっては困ります。 私はただ、泰衡様との約定を果したまで。
  今後手ずから、平家に加担出来ぬ様にしただけで御座いますよ」
「―――それに、貸しが消えるのであればそれに越した事は有りませんしね」
「貸し?」
「いえ。 こちらの話です。」
誰の事を言ってるのだろうかと聞き返そうかと思った時、重衡は平家の者に呼ばれていた。
流石にアレだけの騒ぎだ、気づかない方が可笑しいが寧ろ遅いくらいだろう。
「少々行って参ります」
ヨロリと立ち上がろうとする重衡に、慌てて望美は肩を貸した。
だが、大丈夫だと良いながら二人に軽く手を振り平家の者の元へと歩みを進めていった。


遠ざかる重衡の後姿を見送りながら、まだ納得が言っていない様子の将臣に、望美はぽつりと言った。
「多分ね、将臣君には見せたくなかったんじゃないかな」
「・・・は?」
「平家を建て直して、ここまで逃がしてくれた将臣君に、
  平家を滅ぼすところを見せたくなかったんじゃないかな」
「―――・・・・
  俺だけ除け者にされてただけかと思ってたんだが・・な・・・ 悪かったな」
「私に言われても・・・」
「アイツに礼なんて言えると思うか?」
木っ端恥ずかしいだけだ・・そう言って将臣は、
 自分の顔を見られないように力強く望美の頭を撫で回したのだった。


思い返してみれば、何だかんだと重衡は自分達を平家の者達から疑いの目で見られないようにと
配慮してくれていたのだと気付く。
昨日の清盛との話し合いは、自分をわざと話に加わらせないようにしたのだろう。
 そして宴では、自分を助けてくれる為に奔走したといえば、それで皆何もその後の事は聞かずに居てくれた。
望美の傍で甘い言葉を囁いていたのは、源氏についていた者が簡単に受け容れられる訳も無く
その事に対して不信感を抱く者を言い包めるかのような、重衡の態度。
近寄らせず、自分だけの者だと主張を強くしていた事で、
 誰一人として何も望美に文句を言う者は居なかったのだった。
それが、本心からなのか計算高いところから来ているのかは分からないが、重衡にしか出来ない事を
この二日という短期間の中で丸く治めるという辺り、本当に恐ろしい奴だと心底思う。
そして、自分達の考えの及ばないような事をまだ内に秘めているんだろう・・・な。
自分は未来から来たからこそ、平家を助けるという策を講じられたが、そんな事は重衡の中では通用しない。

本当の武将という者は、あれ程の権謀術数な者なのかもしれないと、将臣は思い知ったのだった。


「大丈夫かな 重衡さん」
ぽつりと漏らしたその言葉に、眉根を寄せて将臣は望美を見た。
「一人で抱え込む事が多いから・・・」
「だからこそ、お前が居るんだろ?」
悠々と空を渡る応龍を見上げて居た望美は、その言葉に将臣を振り仰いだ。
「・・・え?」
「そうさせないために、お前が傍に居るんじゃないのか?」
「あ・・・うん。 そう・・・だよね」
自分の言葉を反芻してしっかりと望美は頷くのだった。

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「母上。 沈静、有難う御座いました。」

「あのような事が起ころうとは・・・流石に沈静させるのに労をそうしましたよ。」
溜め息を吐きながらも、息子の無事な姿を見て時子はホッとした。
「申し訳有りませんでした。 暫しの刻を必要としたもので―――」
「貴方が礼を言う事はありませんよ。 私は望美さんの為に動いたまでですから」
「――― 母上・・・」
この母親には、何故か敵わない・・・そう思いながら眉根を寄せる。
「フフッ 戯言ですよ。 その様な顔をしないで下さい。
  あの様な可愛らしい方を利用しようとするのですもの。小言の一つ位は言わせて下さいな」
「はい、申し訳御座いませんでした。」
そう言って、重衡は素直に深々と頭を下げた。
「今後は私が何とか立て直していこうと思います」
その言葉に重衡は寸の間 あいだを置いてから呟いた。
「・・・母上・・・兄上に―――」

「そう・・・ですね。 今後は彼に任せても良いかもしれませんね」
「えぇ 漸く宿願叶うのでしょうから・・・ね。」


「―――と、言う訳で私が、父上が清盛公と、惟盛殿を滅しました。」
淡々と語るその言葉に、非難の声や罵声が飛び交うで在ろうと予測していたはずが
シンッと静まりかえったまま、皆聞き入っていた。
その状況に重衡は、母が既に死を伝えていたのだと直ぐに推測した。
「私自ら平家を滅したも同様。 早々にこの地を引き上げます。
 そして私はもう、平家には関わる事は御座いません。
――ですから、白龍の神子様、そして・・・還内府殿を蔑む事だけはなさらぬよう――。
 これは私一人の独断でした事。 あの方たちは何も関係は御座いませんから。」

話を終えた重衡に、困惑していた者が少しずつ不安の声を上げてゆく。
その一つ一つに、しっかりと耳を傾け重衡は返答を返していった。
元々此処に長居をする気がないと言いながらも、
 自分達の行く末を暗示画策してくれていた事で、
不安な表情をしていた者たちも少しずつ安堵の表情へと変わっていった。

不安と落胆の色を滲ませる群集の中でも、本当にもう戦を気にせず
 此処でのんびりと暮らす事を、もとより望んでいた者も案外多く居たようで、
安堵の表情で、有り難うと言う者も少なくは無かったのだった。

流石に事は大事だった為、何刻もの時を重衡は拘束された。

平家をある意味滅ぼした故、罪滅ぼしも兼ねて此処で自分達と共に居てはくれないのか・・・と。
この二日間と言う短時の内に、コレだけの『戦』を成し得る力を持つ重衡は、
やはり平家には無くてはならないと思う者もやはり居たのだ。
だが、その言葉に重衡は首を振り、
「そう思ってくださる方が居られる事。 大変嬉しゅう御座いますが、
 私は神子様と共に、神子様が生まれ育った世界へと向うと心に決めております。」
「それに不安要素と言うものは、完全に絶って置いた方が良いと思われますしね。」


話も一通り落ち着き、重衡は漸くその場から解放された。
望美たちにも、平家の事の顛末を話さなければと、
 その場から踵を返そうとした重衡は呼び止められた。
この場では人が多いと、二人で落ち着いて話せそうな場所まで歩んでいった。

目を伏せ考えあぐね居ていた様だったが、意を決して経正は話し始めた。
「あ、あの重衡殿・・・ 何故・・・何故私を、この地に留まらせたのですか?」
「清盛殿や惟盛殿と同じくして怨霊と成り果てた私を・・・何故一緒に滅して下さらなかったのですか・・・?」
「この世には居てはいけない存在。 そう思って、重衡殿はお二人を滅したので御座いましょう?」
「何故私を、この地に縛り付けるのですか!? 私は・・・私は・・・っ」
悲痛に叫ぶ経正の言葉を遮って、重衡は言葉を返した。
「まだ貴方にお伝えしていなかった事が御座いました」
「・・・え?」

「敦盛殿は現世に留まり、何時か極楽浄土へ向かわれる様 精進しておられます。
  弟君の為にも経正殿には末永くご息災願いたく思います」
そう言って、重衡は深々と経正に頭を下げた。
「・・・・っ! 敦盛! 敦盛と言葉を交わされておられたのですか?!」
「申し訳御座いません・・・将臣殿に願い出て、敦盛殿の事は伏せさせて戴いておりました」
「何故ですっ?!」
掴みかからんばかりに声を荒げる経正に、落ち着いてくれと目顔で見詰め返した。
「―――貴方にその事を申し上げていたら、計画が露見する可能性もあると思いましたので」
「そんな・・・っ し、しかし!」
「それに、私は貴方には生きていて欲しいと思っておりましたので、
 敦盛殿と同じように、神子様の力で封印して欲しいなどと、思われるわけには参りませんでした」
少しの間を置き、すぅと息を吐いた重衡は淡々と語り始めた。
「宴の席で話したこと。 少々誤解が御座います」

そう言って重衡は、平泉に自分が記憶を失って暫くの間居た事。
そしてその間に敦盛と出会っていた事、敦盛は自分に気付いては居たが平家と知られると
危ぶまれると思い、口には出さずにずっと居てくれた事。
平泉での敦盛の勇姿。
そして、別れの際に発した言葉を語った。

「・・・っ あつ・・もり・・・」
全身から力が抜けたのか、経正はその場に崩れ落ちた。
「随分と成長されたように思われませんか?」
重衡は歩みを進め、経正にそっと手を差し出した。
「重衡殿・・・」
「まだまだ元服したばかりだと・・・そう、私達は思っておりましたが、もう立派に成長なされておられた」
「ですから、其れに恥じぬよう 経正殿にもこの地に留まって頂きたいと、私は願ったのです」
「それが敦盛殿の心の支えにもなり得ると、思いますから―――」
「・・・っ 重衡殿・・・私は・・・弟よりも不甲斐無いですね」
柔らかな砂に爪を立てながら、自分の愚かさを恥じ入る経正に被りを振って、重衡は優しい声音で言う。
「そんな事は御座いませんよ。 これから一歩ずつ進んで行かれば良いことでございましょう?」
「えぇ・・・そうですね。
 敦盛がもしもこの地に着たいと願うならば、その時に会っても恥じぬように勤めないとなりませんね」
「えぇ。 私もそんな日が何時か来る事を願って止みませんよ」 
その言葉に、瞳の端を薄っすら湿らせながら、差し出された手に手を重ねて経正は微笑み頷いた。

かつて、まだ戦の始まる前の表情に二人は戻って笑顔で語り合った。



+++++++++++++++++++++++++

譲にも還れるという事を伝えて、発つのは明日にしようという事になった。



「十六夜の君、今宵は寝所を別に用意して戴きましたので、そちらでゆうるりとお休みなさいませ」
「え?」
瞳を瞬き、キョトンとした顔を望美がした事に、寧ろ重衡が瞠目した。
「私とご一緒の方が宜しかったでしょうか?」
重衡がにこやかに微笑むと、ハッと我に返った望美は顔を見る間に真っ赤にしていった。
「今日もご一緒となると、今宵は貴女に手を出さない保証は御座いませんよ?」
俯いて考える素振りをしていた望美だったが、袖をくぃと掴まれて
「・・・寝るまで・・・で良いから・・・一緒に居ちゃ駄目かな・・」
そう小さく言葉をついた。
この方は―――。 どうしてこうも人の心を擽る事が得意なのか・・・。
「えぇ。 ――では、貴女の眠りを見届けるまでご一緒させて戴きましょう」

望美に宛がわれた部屋へと赴き、昨日と同じように灯りに火を灯す。
昨日は恥かしがっていたはずの望美は、今日は重衡を前にしても気にせず着物を降ろしていった。
少々困った重衡は、香の用意など平泉でしていた事を習慣付いた様に手際良くこなしていった。
一通り仕度が整い、床の方を伺うと望美がこちらを見詰て待っているようだった。
「お疲れ様で御座いました。 十六夜の君」
傍に行き、髪を優しく梳くと望美は重衡にそっと抱きついた。
「ありがとう 重衡さん」
「いいえ、私の方こそお礼を申さねばなりません」
そう云うと、そっと絡ませた腕を解いて 重衡は仰々しく望美へ平伏した。
「貴女様がこちらへと、眼を掛けてくださらなければ成し得ぬ事で御座いました。
  平家一門を代表し、深く御礼申し上げ奉ります」
「っ! そんな事しないで! 成し遂げたのは重衡さんでしょう!? 私は何もしてないっ!」
「いいえ、神子様が居られなければ、平家はまた、群雄割拠に勤しもうとしたでしょう。
  命を弄ぶ事は決して良い事では御座いませんでした。
 もしこのまま野放しにしていたらと思うと、背筋が凍る思いで御座います。」
「・・・っ わかった・・・分かったから・・・頭を上げて。」
「―――はい」
そういって、面を上げた重衡の前には、涙を溜めた望美が鎮座していた。
「もう・・・平 重衡さんの役目は終わったでしょう?」
「――は・・・?」
「もう。 良いよ」
「十六夜の君・・・?」
「何時もの銀に戻って――」
「・・・っ ―――貴女をかどわす事が、本心かもしれませんよ」
そう、先程の清盛の言葉。 あれが本心かもしれない―――と。
「さっき・・・もしも私が銀を選んでなかったら・・・どうするつもりだったの?」
「私の気持ちまであそこで試されるとは・・思ってなかったよ・・・?」

「申し訳有りません。 ――あの時、兄上と共に去るのであれば、それはそれで良いと思っておりました」
「平家の問題で御座いますし、あそこで私の命が潰えてもそれで良いと思っておりました」
「十六夜の君と兄上が無事であれば・・・と。」
「ひどい・・っ 銀は酷いよっ! 私の気持ち何て、全然考えてくれなくてっ!! 
 一人で自分の死に方考えて! 私と生きる為に異世界に行くんじゃなかったの?!」
「私は元々酷い人間です。 十六夜の君が私を、善人と思うてくれているだけで御座います」
その言葉にフルフルと、頭を振る。
「違う。 違うよ。 銀は・・・私の知ってる重衡さんは違うよ」
「そう思いたいだけでしょう? 本当はずっと内に優しさを秘めてる人だって知ってるよ」
「そうでなければ、あんな風に写経なんて出来ないよ。 今もずっと悔いて・・・、
 なるべく自分を他人から避けさせるように、自分に関わらないようにって・・・見てれば分かるよ。
 私はずっと・・・ずっと貴方の背中ばかり追いかけて着たんだよ」
「隣に並べる日をずっと待ってたのに。 銀はそんな簡単に私を他の人に託すの・・? 酷いよ・・・」
「十六夜の・・・君  貴女は・・・―――」
貴女は・・・どうしてこんなにも、私の心を揺さぶる事が容易なのだろうか。
幾つモノ仮面を重ねてきたはずが、どうしてこの人には見透かされてしまうのだろうか。
何故―――。

 望美の肩口へとコトリと頭を俯かせ、呼吸を整える。
どこまで此の方は私を見ていてくれていたのだろう。 
 平家の頃の私を知らないはずなのに・・・、
 幼かった頃の――まだ皆を信じたいと無垢に想った心が疼く。
策略と言う名をまだ知らぬ、ただただ光り輝く日々が続くと思っていたあの頃を―――。

「――ようやく・・・胸の閊えが取れたように思えます」
「・・・え?」


「私はきっと、元々『銀』の様になりたかったのだと・・・思います」
「仕えていた事はさておき、一族の事を考えず
 ただの一人の武人として生きたかったのだと・・・今はそう、思います」
元々自分の想い描いていた理想の『銀』と、現実の『銀』は、やはり違っていた。
だが、今の自分は素直に受け容れられている。
それはやはり、自分の願望が無意識に露になっていたと言う事なのだろう。
「平 重衡も、銀も。 私です。 ですが、心の内の闇を曝け出し、新たな私を見出して下さったのは、
  他でもない十六夜の君、貴女です。」
「そしてこれもまた、私です。
  貴女をこんなにも当惑させる者が傍に着いていて宜しいので御座いましょうや?」
「うん。 だって、私が好きになった人は貴方だモノ。 貴方以外に銀は居ないもの」
「そうじゃないと・・・一緒に異世界へ来て欲しいなんて、思わないよ」
躊躇いのない、真っ直ぐな瞳で射抜かれる。
そんな望美を、ゆっくりと胸の内へと誘う。
壊さぬように、それでも力を込めてしまいそうになる想いを抑えて抱きすくめる。


「有り難う御座います。 貴女でよかった。
   私を愛してくれたのが、貴女で よかった―――」



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「それにしても本当によかったの?」
「はい?」
「此処での目的をするだけして、あっさりと此処を去ってしまって良いの?
  もう少しゆっくりしても―――」
「良いのですよ。 寧ろ、神子様を此処に留めておく方が私は気に止むのです」
「大丈夫だよ。 将臣君が、平家の人たちは皆良い人たちだって言ってたし、
 重衡さんの昔を知れるチャンスかなって思ってたし」
「私の事を考えてくださる事は喜ばしい事ですが、譲殿をお待たせするのも野暮で御座いましょう?」
「あっ! そうだったね。 じゃぁ・・・行こうか」
「はい」
「話はまとまったようだな」
その言葉に二人は頷いて、空を見上げた。


「――私の神子―――  今までありがとう そして、幸せになって。 私はそれを、ずっと望み続けるよ」
「ありがとう、白龍。 白龍も元気でね!」
「うん。 京をまたしっかりと守っていくよ」


「神子達を元の世界へ――――」

今度ははぐれない様に、三人手をしっかりと握り締めて、目指すもとの世界へと私達は向かったのだった。



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おまけ。

「して、十六夜の君。 昨日の御召し物は着ては下さらないのでしょうか?」
「う・・っ 上手く着れないと思うから・・・何時もので別に平気だよね?」
「それならば、私がお手伝い致しますよ」
「・・・・・・〜〜〜っ! よろしいですっ!」
「宜しいのですね」
ニッコリと着物を既に携え微笑んで、重衡は近づいて来る。
「あっ ち、違う! そうじゃなくってー!」
其処へガラッと勢いよく戸が開いた。
「朝っぱらから ぎゃーぎゃーと楽しそうじゃねーか」
耳をカキながら、呆れたように将臣が入ってきた。
「将臣君! 助けてっ!」
咄嗟に重衡を避けて将臣の背に隠れたが、首を後ろに傾けて
「俺も着付け手伝えってか?」と、苦笑交じりに言われたのだった。
その言葉に、先程の笑みを崩さずに重衡は
「兄上には指一本触れさせませんよ?」と、ジリジリと望美に近づいていった。
そんな二人のやり取りに、流石の望美もプチンッと堪忍袋の緒が切れたのか
「っちーがーーーっぅ!」と、大声で叫んだのだった。

そんな和やかな?朝の一時。


2015.06.04 → 2015.06.13 修正

後記

漸く・・・ようやく過去編1が終了しました。
長かった;; 最後が色んな意味で長かった、、
取り合えず、パズルのピースを適当にはめ込んだ・・・と云うのが正しいかもしれません。
なので、後で修正をガンガン要れる予定です。
此処まで御付き合い有り難う御座いました。
次は現代に戻って、学生生活の続きが始まります。 
その前に一つ短編っぽいのを組み込みます。