『あんな人形の世話、何時までやらなきゃならないんだろうな』
【凍りついた心】
あの日以来、銀は心を閉ざし瞳には何も映さなくなった―――。
私が世話をすると志願したのは、戦が終わって数日後の事だった。
気落ちした面持ちで、何時もの様に御所へと歩いて行くと、丁度御所から出てくる男達が見えた。
庭先で何やら話しているのを、堂々と立ち聞きするのもどうかと思って
気付いたら隠れて話に聞き入っていた。
「女共はあんな風になった銀を、世話したがるからしょうがなく面倒を見みてるが・・・」
「あぁ。 あんな人形の世話、何時までやらなきゃならないんだろうな」
「実は自作自演だったりしてなぁ」
「流石に其れは無いだろう? 男に身体拭かれてうんともすんともいやしないなんざ―――」
隠れていた筈の望美は、何時の間にか立ち上がって男達を睨み見据えていた。
其処まで話していた男達は一瞬にして凍りつき、互いにバツの悪い表情を浮かべながら
すごすごとその場を後にして行った。
悔しくて、銀をそんな風にさせてしまった自分に憤りを感じ、必死に気持ちを抑えていたが、
瞳からは大粒の涙が零れ落ちていた。
銀は悪くない。
銀が、『何か』をしてくれたからこそ、今こうして平泉に平穏が訪れたのだ。
自分と、銀の間で交わした会話だけでしか、事の真相は明らかにならない。
こんな事を誰かに言ったところで、茶化されて終わるのが落ちだろう。
だからこそ、歯がゆくてどうして良いのか分からなかった。
勝手知ったる風で誰にも挨拶せずに、銀の居る場所へと赴く。
何時もの様に居住まいを正され、ジっと何も無い室内に正座をして微動だにしない銀を見つけた。
「・・・・っ 銀! おはよう! 今日は大分暖かくなって来たし、濡れ縁の方へ行かない?」
「はい、 ご命令を――」
言葉を向けると、返ってくる返答は何時もと変わらず、先程の男達の言葉が胸に突き刺さる。
人形なんかじゃない。 違う、そうじゃない・・・
そう思うのに、うつろな瞳でこの言葉を発せられると、どうしようもなくなってしまう。
私は今、笑顔で居られてる・・・? ねぇ・・・銀
貴方が好きだといってくれた、笑顔になってる・・・?
必死に笑顔を作って銀を立たせ、濡れ縁へ移動させようと思うのに、
笑顔は引き攣り涙で前が歪んで思うように進めない。
よろめきながらもようやく腰を落ち着かせ、二人で外の景色を眺める。
静けさだけが二人を取り巻いて、
厭な事しか考えられなくなるのを振り払おうと望美は扇を取り出した。
「以前 言ってくれたよね。 何時か神子様の舞う姿を見てみたいって・・・見てくれる?」
「はい、ご命令を――」
はい に続く言葉は聞かなかった事にして、望美は一人舞い始めた。
無心で、何も考えないように・・・ただ、遠い日に朔に京で教わったのを思い出して舞い続けた。
「泰衡さん。 銀を高館へ連れて帰っても良いですか?」
どうすれば良いのか、そんな事を考えて、今 最良の考えはこれしかなかった。
他の者が厭であれば、自分が全て世話をすれば良い。
「それで神子殿の気が済むのならば、勝手にすれば良い。」
そう言われて、望美は銀を他の人達の許可も得ずに高館へと連れて帰って来た。
「あの・・・ ごめんなさい・・・」
望美はシュンと項垂れ、途方に暮れた顔をしながら出迎えた朔に経緯を話し始めた。
そんな望美に最初は驚いた顔をされたが、直ぐに安心して良いと朔は微笑んだ。
「貴女が謝る事じゃないわ。 疲れていない? 今すぐに、部屋を用意するから」
何か有ったら直ぐ駆けつけたいからと、望美は自分の隣に銀の部屋を用意してもらうように促した。
「分かったわ。 そろそろ夕餉も出来るから、広間へ行っていて?」
「うん。 ありがとう、朔」
その夜、自分で何もかも・・・そう思って居たが、
やはり着替えや身体を拭いたりする事に異性を意識してどうしようかと悩んでいた。
「お。 まだ此処に居たのか」
その言葉に振り返ると、二人部屋へと入ってきた。
「え? 将臣君、敦盛さん?」
不思議なものでも見るように、望美はマジマジと二人を見上げた。
「あの・・・どうしたの?」
将臣は髪をガシガシと掻きながら、言い訳でもするように話し始めた。
「んー? まーなんだ・・・俺たちの知り合いに何だか似てて・・・な」
そう言って、同意を得るように将臣が敦盛を仰ぎ見ると、其れに答えるように敦盛は頷いた。
「あぁ・・・神子には今まで言えなかったのだが、平家に居た頃の御仁にとても似ていて・・・」
「・・・そう・・・なんだ・・・」
やっぱり銀は、平家の人だったのだと望美は改めて確信した。
「こういう仕事は俺達がやってやるから。 他の事やってやれや」
そう言って、将臣は望美の手から手拭いを奪い取り、
自分達が望美の出来ない部分は補うと志願してくれた。
「・・・っ ごめん・・・私のせいなのに、こんな事してもらって・・・」
「お前のせいじゃないだろうが」
「でもっ!」
敦盛は、そんな望美の肩にそっと手を置き 諭した。
「神子、あまり自分だけで思い悩まないで欲しい。
銀殿のお陰でこの戦は終わった。 私達はその事を重々理解している。
他の誰かが野次を飛ばしたとしても、私達は神子の味方だ」
望美はその言葉を聞いて、朝からの出来事でずっと神経を尖らせていたせいか、
ポトリポトリと瞳から涙が溢れ零れ落ちた。
「・・・敦盛さん・・将臣君・・・ ありがとう」
「ほら、泣いてないでシャキッとしとかねーと、銀が元に戻った時に怒られるぞ?」
「う、うん そ、そうだよね ありがとう。 ちょっと顔洗ってくるよ」
「あぁ」
そう言葉を交わして、望美はそそくさと自室へ戻って行った。
「―――重衡・・・お前なんだろ・・? お前は女を泣かせたりしないだろ?
あいつを泣かせないでやってくれよ・・・」
将臣のぽつりと呟いた囁きは、静まり返った室内に思いの外 響き渡った。
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―――――― あれから数ヶ月が経った。
平泉には、遅い春が訪れようとしていた。
何時になれば銀の心は戻ってくるのだろう・・・。
どうすれば良いのだろう・・・。
望美は珍しく、一人近くの小川で気持ちを整理していた。
その手には、白龍の逆鱗が輝いていた。
今までこんな事は無かった。
直ぐに、運命を変えようと時空を越えていた。
こう云っては何だが、命が潰えてしまう事が分かったり、実行されてしまっては戻る外に道は無い。
だからこそ、躊躇なく運命に抗おうと時空を越えていけた。
然し今はどうだろうか・・・。
銀は生きている。
ただ、心が何処かに取り残されたように無いだけで、存在している。
暫く一緒に居て、必死に問いかければもしかすると戻るかもしれない・・・そういう淡い期待もあった。
しかし、未だに何の反応も見せない銀に、流石に危機感が募り始めた。
これではいけない・・・
言葉には出さないが、きっと将臣君や敦盛さん・・・他の皆だって辛いのに我慢してくれているだろう。
ヒノエ君は自分の用があるからと、早々に熊野へ戻ってしまった。
本当は、朔や先生は京へ・・・将臣君と譲君は元の世界へ戻れば良いのだが、
こんな私達を放ってはおけないと、ずっと傍に居続けてくれている。
自分の我が侭に皆を付き合わせてしまって、そしてこれが何時まで続くかも分からない・・・。
直ぐにでも、時空を越えてやり直せば良いのだろうが、もしもこの後このままこの時空が続くとしたら―――?
自分が世話をすると云っていたのに、一人抜け出して、銀も放ってこの場を後にするだけだとしたら・・・?
そう思うと怖くて仕方が無かった。
今まで考えて居なかった、自分が時空を越えた後の結末。
そこで塗り替えられ、その時空が抹消されるのか・・・はたまたずっと其処に取り残される皆が居るのか・・・。
不安だけが募って、前へ踏み出す勇気が出ない。
それだけ・・・? それだけなの・・・・?
自分の心の問い掛けに、返してくれる相手も居ないというのに、
幾度と無く自問自答を繰り返すようになっていた。
こんなにも自分は弱かっただろうか。
今まで何度も運命を切り開いてきたではないか。
何故、今になって・・・・。
川面に映る自分に悔しくて睨み返していたら、思わぬ人が目に飛び込んできた。
川の流れで、微かに微笑んでいる様に見えるその人を見て、あの時交わした言葉が甦る。
『私は、貴女を愛しています。 それだけは、真実でございます―――』
一瞬、銀の心が戻ったのかと驚き振り返ったが、
その表情は何時もの無表情で、ただただ何処とも無く見ているだけだった。
「・・・っ 銀どうしたの!? まさか一人で此処まで来たの?!」
そう言って、両の手で銀の頬を包んで自分の瞳が映りこむように間近に見詰める。
だが、虚ろな瞳には やはり望美を映す気配はなかった。
少しがっかりしながらも、銀をよくよく見ると、衣服は所々汚れて黒ずんでいた。
「私を・・・探しに来てくれたの・・・?」
「はい、ご命令を―――」
何時もの返答に、泣き笑いの顔をして望美は微笑んだ。
「何時も・・・命令・・してくれる人が・・・傍に・・・居ないって・・・解ったの・・・?」
「はい、ご命令を―――」
何時もは自分から一切動かない銀が、動いてくれている。
それだけで、胸が高鳴る気持ちを抑えられない。
ほら、戻るかもしれない・・・また好きになってくれるかも・・・
―――好きに・・・?
ハタと自分の想いに思考が止まった。
そうしてようやく、こんなに鈍い自分でも分かった・・・銀を好きになっていたのだと。
どうしようもなく好きでしようがなくて・・・、自分から彼の傍を去るのが厭だったのだと。
「銀・・・ しろがね・・・」
「はい、ご命令を―――」
今更 わかるだなんて・・・こんな私を愛してくれていただなんて・・・
「ごめん・・・ごめんね・・・銀・・・」
「はい、ご命令を―――」
平泉に来て、第三者の様な立場で自分を支えてくれていた銀。
八葉では無い分、気兼ねなく自分の愚痴を何時の間にか吐き出していた事があった。
それでも、銀は微笑みながら優しく自分を諭し、往く道を照らしてくれていた。
無意識に望美は、余りにも銀に寄り掛かっていたのだと今更に気付いたのだった。
銀の服が涙で濡れてゆくのも気付かずに、
ただただ望美は今まで溜め込んできた想いを吐き出すように泣き続けた。
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今日は皆 買出しや使いなどで出払っていたので、望美はぼぅっと濡れ縁で銀と寛いでいた。
すると突如、庭に黒い影が落ちてきた。
「―――先生 どうしたんですか?」
「はい、ご命令を―――」
銀の返答にリズヴァーンは深く溜め息をついて、話を切り出した。
「・・・神子、決めるのはお前だ。 だが、このままで本当に良いのか?」
「・・・・っ!」
急に手のひらに汗がジワリと広るのを感じた。
見透かされていると解っては居たが、駄々をこねる様に望美は思った事を吐き出した。
「銀が・・・私の事に気付いてくれ始めてるんです。 だから・・・」
だからもう少しすれば思い出してくれるのではと・・・。
そう言葉に出したいのに、乾いた唇は動かなかった。
「・・・神子・・・」
「お前が努力しているのは良く判っている。
だが・・・、このままでは銀の体力が何時まで持つか分からない」
その言葉に、胸を抉られる様な気持ちになる。
自分で食事をする事も無く、食べさせはするがあまり口を動かしてはくれない。
その為、日に日に痩せ細っていく銀を見続けることが、正直苦しくなってきていた。
一人で歩くのも、時折よろめき支えないと危ない時も少なくは無い。
もう少しすれば・・・そう言い聞かせてきたのに、
他の人に指摘されては自分の気持ちが揺らぐのは確かだった。
リズヴァーンは瞳を彷徨わせながら涙を溜め、
必死に耐え忍ぶ望美の頬を大きな手で包み込んで微笑み返した。
「神子、案ずる事は無い。 皆、お前を・・・そして銀を支えてくれる。 だから安心しなさい」
「・・・・っ!」
この時空と別れを遂げないといけないと・・・
決断しなければいけない時が着ていると、告げられたようだった。
「・・・・はい・・・ はい・・・先生」
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春が近づいても、やはりまだまだ夜は冷え込む。
明日は自分が決めた決断の日。
時空を越える日・・・暫しの間、銀とはさよならだ。
ソッと自室を抜け出し、銀の部屋へと足を向けた。
其処には、既に床についている銀が居た。
何時もは恥ずかしいと意識するのに、今日の自分の心は酷く落ち着いていた。
ごめんね・・・そういって、望美は銀の横に身を埋めるように寄り添った。
真上を向いて寝ていた銀が、温もりに気付いたのか横に寝返りを打つ。
ふわりと望美を抱きかかえ、暫くすると規則正しい寝息が上の方から聞こえてきた。
「・・・あったかいね」
こんなにもあたたかくて、鼓動も心地よく響いてくる。
それなのに、感情がないなんて・・・
どうしてこうなってしまったんだろう。
―――――何がいけなかったのだろう。
戦続きで麻痺してしまっていたのか、人の生死を見てもあまり涙を流さなくなっていたのに
此処に来て、こんなにも涙が溢れて止まらない。
気持ちを切り替えないと・・・
これからまた気を引き締めて、運命を切り開いていかなければならないのだから。
だから・・・少しだけ、少しだけで良い 甘えさせて―――。
銀の胸に顔を埋めて、この温もりを忘れないようにと思いながら、
望美は久しぶりに深い眠りに落ちていった。
「っはようさーん ・・・ん?」
「・・ぁ・・・・・」
「? 将臣殿、どうされました?」
急に立ち止まって微動だにしない将臣に、どうしたのだろうかと敦盛は尋ねた。
「あー・・・ 今日はもうちょっと寝かしといてやるか」
「え?」
「ほら、行くぜ」
不思議に思いながらも、その言葉に敦盛も従うように踵を返そうとしたが
フッと気になって重衡の方を振り返った。
「・・・あぁ とても気持ちよくお眠りの様ですね」
将臣の言葉に納得して、敦盛も微笑んで部屋を辞した。
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これに袖を通す日がまた来るとは―――
ここ数ヶ月、ずっと掛けられたままだった陣羽織に袖を通す。
「・・・簡単に運命を変えられるなら・・・誰かが既にやってるよね」
苦笑しながらそんな事を思う。
そうだ、簡単にこの『戦い』を終わらせられているのなら、自分がわざわざ異世界から呼ばれる事も無いだろう。
何時まで続くか解らない、自分の想い描く運命への道のり。
皆をまた不幸に追い込むだけかもしれない。
でも、立ち止まっていたら後悔だけが残る。
後悔だけはもう、したくない。
だからこそ、自分は歩み続けなくてはいけないのだ。
自分の・・・皆の想い描く未来の為に。
「皆、またよろしくね。」
最近、稽古も軽くしか行っていなかった。 気を引き締めないといけないだろう。
「うん。 この世界に来た日に戻ろう。」
胸元から白龍の逆鱗を取り出した。
「皆が幸せになれる未来に進めるように――― 行ってくるよ。」
だから・・・銀・・どうか見守っていて―――
そして、光に包まれ望美はその時空を後にした。
2014.08.18
後記
銀×望美ファンなら一度は書きたい話ではないだろうかと思うシーンをようやく書き上げました。
取り合えず、自分の今の気持ちを全て書き記せたかと思ってます。