【夏の終わりに】



8月もそろそろ終わる頃、二人は夏の名残を垣間見る様に鎌倉の海の側を歩いていた。

「あ・・・」
「如何なさいましたか?」
「見てみて銀! あそこ!」
その呟きに、首を傾げながら見詰めると、
 浜辺の方を指差し無邪気に望美は微笑んで、銀の腕を引いた。
「あれは・・・流鏑馬でしょうか」
「凄いね! 近くに行ってもいいのかな?」
「見物されている方も居られるようですし、行って見ますか?」
「うん!」
望美は意気揚々と、銀の手を引いて小走りに歩き始めた。

銀は、この様な時は照れもせず銀に触れてくる望美に、嬉しくも微笑ましく思っていた。


「久しぶりに間近で馬を見たなぁ・・・」
「懐かしゅう御座いますね」
「うん・・・ あの時は本当に馬にはお世話になったし」
「そうで御座いますね。 大事な友で御座いました」
「そう言えば銀も流鏑馬ってした事あるの? その・・・弓を扱ってるのって見た事なかったけど」
「えぇ 宮中では催し事は多かったですからね。 譲殿には敵いませんが、弓も扱えますよ」
「やっぱり凄いなぁ・・・・・・」
「あの頃の貴族はそれが常でありましたから。 謙遜されるような事では御座いませんよ」
「そうかなぁ・・・」と、何度諭されても納得はいかない。


「あれ・・・? 体験させて貰えるのかな? 見物してた人、馬に乗ってるね」
「その様ですね」
「ねぇねぇ 銀、よかったらやってみてよ!」
「そんな急に乗せて頂けるのでしょうか・・・」
「聞いてみるよ! 良いって云ってもらえたら遣って貰える・・・?」
「神子様が見たいのであれば遣らせて頂きましょうか」
「わーい ちょっと聞いてくるね! 待っててー」
「あ―――」私が・・・と、言おうとした時には既に望美は走り出していた。
流鏑馬を操っているのは男人。
 あまり男性と話している望美を銀は見ては居たくなかったのだ。

暫くして、望美は戻ってきた。

「銀! 良いって!」
「・・・左様で。 では、少々走らせて頂きましょうか」
瞳を輝かせ、笑顔で答える望美を見てしまっては、苦笑し、ただ頷く事しか銀は出来なかった。
「うん!」

銀と望美は馬のいる方へ歩いていった。
馬を引いていた者が説明をしようとしたが、馬の方が先に銀に興味を示したようだ。
銀を見るや、顔を近付けていった。
「この馬は良い馬で御座いますね。 とても人に懐いて居られる」
そう言って、銀は馬の気持ちの良いところを撫ぜてやる。
係りの者が「馬に気に入られていますね」と、少々驚いていた。
弓の取り扱いなども聞いていたが、温和に諭して銀は自分のやりようで遣ってみたいと申し出た。
雰囲気がそうさせるのか、係りの者も何も云えなくなり、銀に弓と馬を託した。


「では ――望美。 少々走らせて参りますね」人目を気にして、銀は望美を真名で呼んだ。
「う、うん!」その事に、驚きと共に頬を赤く染め上げて望美は返事を返した。

銀は馬に颯爽と跨り「少々共に駆けてください」と、優しく声を掛ける。
すると軽く馬は嘶き、馬が的の並ぶ道へと進んでゆく。
銀の用意が出来たのを見計ったかのごとく、馬は駆け出した。
それに合わせて銀は弓を引き、的を見据えてその時を待ち構えた。

周囲のギャラリーも何時の間にかその雰囲気に圧倒され、
 シンと静まり返り、事の顛末を見守っていた。

銀は的に正確に矢を射抜いてゆく。
周囲から歓声が上がった。
だが銀は、残りの的もその歓声を他所に射抜いていった。


久しぶりであったが、馬が良かったのだろう。
自分に合わせ走ってくれていたのがよく判った。
「有難う御座います。 あなたのお陰でとても有意義な時を過ごせました」
そう言って、馬を撫ぜてやった。


息を切らせて、望美は銀の元に駆け寄った。
「銀! やっぱり凄いね! 全部、的を射たよ!? 弓も使いこなせるなんて思いもしなかったよ」
「それ程の事では御座いませんよ 友が良かったのです」
「うぅん それでも本当に凄いよ! ずっと弓も射てなかったんでしょう?」
「馴れ・・・でしょうか」と、苦笑交じりに銀は答えた。
「それにしても本当にこの馬、銀に懐いてるね。 私も撫でても平気かな・・・?」
そう言って、望美が撫でようとしていたので、銀は撫で易い様に馬の頭を優しく下げさせた。
「これでも左馬頭を任されておりましたから・・・」
銀の言葉に、聞きなれぬ単語が出てきた望美は、銀に聞き返した。
「銀・・・ごめん サメノカミって・・・どう云うもの?」
「これは失礼致しました。 左馬頭とは、軍馬の世話を任される所です。
宗盛兄上が退任した後、私に役が回ってきましてそれ以来、ずっとしておりました」
「だから 馬も銀に安心してるんだね」
「それでしたら宜しいのですが・・・」
そう言った銀の表情はどこか哀愁を漂わせ、
 以前 藤棚を二人で観に行った頃を望美は思い起させた。

二人は馬を返し、その場を後にして人通りの少ない住宅街を歩いていた。


望美はポツリと、気になっていた言葉を口にした。
「宗盛さん・・・初めて聞く名前のお兄さんだね。 銀には兄弟が沢山居たの?」
「はい 男児は兄上は4人、弟は3人居りました」
「多いね・・・女性も居たんだよね」
「えぇ 異母姉妹、・・・養子の方も居ましたので、ざっと十数人は居たかと・・・
 あまり顔を会わせたことは御座いませんでしたが」
「えぇっ!? ・・・10人以上?! そんなに居たんだ・・・ 大所帯だったんだね」
「神子様の世界で考えますと、多いのでしょうね。 
私たちは一族の繁栄を長く保ちたいので、血を濃くする為に
 男女共々生れ落ちる事は喜ばれる事でしたので・・・」
「そっか・・・ 女性でも、位の高い人と結婚出来ると良いものね」
「はい 徳子姉上は高倉天皇との間に子をもうけました。そのお子が安徳帝でしたからね」
「天皇・・・何だか圧倒されちゃうな」
「それ程の事では―――」


「皆、向こうで元気に暮らしてるかな・・・」
「――こちらでは、捕虜になっているか亡くなったか・・・もちろん落ち延びた者もおりましょう。
父上の直系の者は、ほぼ亡くなっているに等しかった・・・。 
しかし向こうの世界では、神子様や還内府殿のお力で、我々は生き延びられました」
「じゃぁ あの時は気付かなかったけど、重衡さんの兄弟とか生きてた人居たんだ。 よかった〜」
「・・・男児で生き永らえたのは、私と・・・宗盛兄上だけでしょう」
「え―――?」
「皆その前に戦死されております。 神子様のせいでは御座いませんよ」
「・・・ごめん こんな事聞いて・・・」
「いいえ。 神子様が我ら一門の事を気にかけて下さった事。 有難く思います。
以前から、聞きたかったのでは御座いませんか?」
「えっ!?」
「しかし、源氏の神子で在らせられた貴女は、
 あまり込み入った事を私に聞くのは憚れるとお思いになった・・・違いますか?」
「ぅ・・・ はぁ 私の考えてる事なんて、きっと銀には透けて見えてるんだろうな・・・」
「その様な事は御座いませんよ。 話の端々で、
 戸惑う場面を何度かお見受けしておりましたから・・・ね」
「銀には敵わないよ。 ・・・うん――― 私ね、全然銀の事知らないって思ったの」
「神子様・・・」

「銀はきっと、私が知ってる銀だけで良いって思ってるでしょ・・・」
「過程は必要の無い事と・・・そう思っていたようにも思います」
「でもね? 以前の、記憶を取り戻す前の銀だったら其れでも良いかもって思えてた。
今は、時々・・・うぅん 気付くと銀以外の・・・
 重衡さんだった頃の雰囲気を垣間見ると、何だか知っているはずなのに
知らない事が増えてくる感じで・・・ 
 ・・・将臣君がたまに羨ましくも思ってたんだ」ははっ と、望美は苦笑いを返す。
「兄上が羨ましいなど・・・」
「私が知らない重衡さんを、将臣君の方が
 やっぱり知ってるだろうから・・・私が知らないのが寂しいんだ」
「それを言うなれば、私も同じで御座いますよ」
「え?」
「ご自分だけと、思っていては困ります。 神子様が思っているのと同じように
 ・・・いえそれ以上に、この世界での神子様と、そして我らの世界の・・・
 我らと相対していた頃の、源氏の神子様としてご活躍されていた神子様を私は知らない。
そう思うと、八葉・・・他の方もですが、兄上に嫉妬致しますよ」
「―――えぇっ!?」
「ふふっ しかし、神子様にその様な嬉しいお言葉を戴けるとは・・・誠 至福の極み・・・」
「――――・・・・」
そう言葉を発した後、銀は押し黙ってしまった。
「・・・? 銀・・・?」不審に思った望美は、銀に声を掛けた。


「少し・・・お話、致しましょうか・・・」
「え・・・?」
「平家の話を・・・そして、重衡と言う男の話を・・・」
「・・・銀・・・」

「一つ、約束して戴けますか?」
「何を?」
「私の話をお聞きになっても、神子様が苦痛にさいなまれぬ様・・・
 あの世界であれば当たり前の事でありますから」
「・・・・・・・・っ」ずっと聞きたいと思っていた。 
確かに先ほどの言葉からして、良い話が聞けるとは思えない・・・。
「分かったよ・・・」そう、云うしかなかった。
「有難う御座います。」


近くに公園があるからと、そちらへ二人は足を向けた。




2014.6.24


後記