※なるべくこの作品は、『現代1』『過去1』を読んだ後に見て戴けると有難いです。
咄嗟に声を掛けようかと思ったが、迷い無く進んでいく彼に興味を抱き、付かず離れずで後を追った。
「ここは・・・お寺?」
坂を少し登ったところにあるお寺だ。
そろそろ閉門の時間なのではないだろうか。
望美は腕時計を見ながら、戸惑いつつも見失わないように後を追った。
きょろきょろと見回すと、青年は参拝しようと手水舎から本堂へと歩みを進めていたところであった。
自分も同じく手水舎へ行き、そこから本堂へと向かう。
境内には既に人は居なかったからか、青年はゆっくりと御参りをしている。
その横で同じように自分もお祈りを済ませた。
目を開いて横を見ると、まだ口を少し動かして祈り続けていた。
何だろうかと思いつつも、フッと以前 船で見かけた光景が思い出された。
ジッと見詰ていると、参り終わったようでフッと溜め息をついて横を見た青年は驚いた表情をした。
「! 神子・・・様。 何時からそちらに?」
全く気付いていなくて申し訳なかったと謝られ、
寧ろ尾行の様な真似をしていた望美は恐縮した。
「えっと・・・ごめんね。 たまたま帰りに銀を見かけて追いかけただけだよ」
そうでしたかと微笑み返されて、こちらもつられて微笑んだ。
「用事は終わった?」
此処にお参りに来ただけならば、一緒に帰らないかと声を掛けた。
「申し訳有りません、少々お待ち戴けますか?」
何だろうと思いながらも頷くと、銀は社務所へと歩んで行った。
其処へ行くと、綺麗に折り畳まれた紙を数枚と手帳・・・だろうか。
取り出して、お寺の人へと手渡していた。
「暫く時間が掛かりますので、少し境内を散策致しませんか?」
その言葉にコクリと頷いて、庭先を見て周る事にした。
夏に近づくこの時期、
植物が青々と茂り始めて新緑の香りが鼻腔をくすぐりとても心地がよかった。
ガラリと窓が開く音がして、銀は社務所へと戻って行った。
「それって御朱印帳? さっき他にも何か渡していたよね」
帰り道、手帳を手にして戻ってきた銀に、疑問だった事を聞いてみた。
「えぇ、私が写経をしているのはご存知でしょう?」
その言葉に素直に頷いた。
「一週間程度書き溜めたものを、納経しているのです。
鎌倉には三十三観音巡礼というものがありましたから、折角だからと順番に巡っているのです」
そういって、御朱印帳を見せてくれた。
「銀が書く文字ってとっても綺麗だものね。ただ捨ててしまうより、
その換わりに朱印を書いて貰えるなら良いね」
そんな事は無いと首を横に振る銀だが、
寸の間考えてから、別の理由で御朱印を集めているのだと呟いた。
意外な返答に望美が首を傾げると、此処を・・そう言って見せてくれたのは表紙だ。
何だろうかと思ったら、銀の名が記されていた。
「珍しい・・ね 真名を書くなんて」
仕事上 名前は必要で、春日家に居候していると言う事もあり
普段は『春日 重衡』と名乗っているのだが、
其処に記されていたのは『平 重衡』という名だった。
自分を呼ぶ時は銀が良いと言われ、そうしているものの、
重衡が垣間見えるとどうしても真名で呼んでしまう事がある。
そう云う時は別段怒られはしないが、やはり気にはしてるのではと思っていた。
そんな銀が、自ら真名を示すのはやはり珍しい事だと思い、
思わず問い返すような目で見上げてしまっていた。
それが伝わったようで、苦笑しながらも銀は言葉を紡いだ。
「このような事は憚れるのかもしれませんが、証でございましょうか」
「あかし・・・?」
「えぇ・・・私がこの地に居たと言う『証』で御座います」
別段この様な事をしたり、自分が居たか居なかったかなどと気に留める事など最初は気にしていなかった。
しかし自分がこの地に降り立って、
最愛の人を『春日家』から奪っていく自分が存在しえないというのは厭だった。
『平 重衡』という者が確かに此処に存在し、そして共に生きる道を選んでくれた人の為に
自分は此処に確かに居たのだと。
それは古風過ぎると思われるのかもしれないが、色褪せることなくこの地に残して置けるのではと考えた。
「で、でも 銀が何か書き記したものを置いていくとかじゃダメなの?」
確かに、其れも考えたのだという。
「もし、戻った瞬間に私の過ごしてきた全てが失われたのならば・・・
貴女と共に映ったはずの『写真』の中に私が存在していなかったならば・・・そう、思ったのです」
言われてみれば、どんな状況で向こうへ戻るのか見当もつかない。
望美は何年も向こうに居続けたが、戻ってきた時は確かにあの雨の日の学校だった。
そして、傷があったはずの自分の身体には何一つとして向こうに居た痕跡は残っていなかった。
ただ、銀と白龍の逆鱗が手元にあっただけであった。
急に望美はスッと血の気が引いて、そこから動けなくなった。
「ですから、他人が書いた物であれば存在し続けるのではないかと・・・
少しの期待を込めて集めているのです」
「神子様?」
歩みを止めた望美を不審に思い、俯いて動かない望美に銀は優しく頬を両の手で包み込んだ。
「ご自分を責める様な考えは持たないで下さい」
その言葉で零れそうだった涙を必死に堪える。
「私は貴女の傍に居られるのならばと其れだけを考えておりました。
しかし、神子様のご両親と共に暮らす様になり、
それではやはり申し訳ないと思う気持ちが出てきたのです」
「向こうへ戻ってしまえば、もう戻ってくる事は適わないと・・・思っております。
そうなれば、今まで神子様を大事に育ててこられた
ご両親は他の子を持つ親よりも哀しみは一入ではと・・・」
「こちらへ戻ってくる前に、平家に立ち寄って戴きましたね。
目的は違えど、やはりもう一度両親に逢えた事は私にとっても大切な宝となりました」
それと同じ事をしたいのだと、銀は優しい微笑みを望美に返した。
「うん・・ 銀、大切な事を気付かせてくれて ありがとう」
何が残せるかは判らないけれど、
自分も何か想い出になるものを、両親に残していこうと望美は思ったのだった。
2014.9.18