『ええ あの月と話しておりました』
『月・・・ ああ、確かに美しいですね』
『十六夜の姫君は、可愛らしく悲しい言の葉を紡ぐ方でした』
『次の逢瀬が待ち遠しいものです』
『墨俣から戻られる頃は、藤の花も咲いておりましょうから――――』
『残念ながら、いつとは知れないのですよ』
『未来―――― どれほどの先に出会えるのでしょうね、 十六夜の君・・・・』
【藤】
「神子様。 よろしければ、今週末、私と散策に行きませんか」
珍しく望美の部屋を訪れた銀は、また珍しくも自分から出かける誘いをしてきたのだった。
この世界に来て半年になるだろうか。
まだ周辺に馴染みがないからなのか、自分からは殆ど誘う事は無く、
望美が何時も、銀にやれアソコに行きたいだの、此処に行ってみたいだの言っていた。
そして、仕事が入っていない限り、一つ返事で銀は応じてくれていた。
それが苦痛ではなかったが、誘われてみたいと思っていたのは事実だ。
この機を逃す手は無いと望美は意気込んだ。
「うんうん。 一向に構わないよ! えっと・・・、土曜日も日曜日も今週は大丈夫!」
嬉しそうに、スケジュール表を指差し確認して望美は答えた。
それに釣られ、銀もニコリと微笑み返す。
「左様ですか、よう御座いました。 では、天気が良い日取りに致しましょう」
「うん! それにしても、珍しい・・・ね? 銀からその・・・デートのお誘い・・・」
流石に自分で、恋人同士という雰囲気の単語を口走るのは照れてしまう。
最後の方は、ボソボソと手帳越しに言葉を濁してしまった。
「はい? もう一度、聞こえるように仰って戴けますか?」
「も、もう! ちゃんと聞こえてたでしょ! デ、デート! デートに誘ってくれるの珍しいねって!」
「ふふっ 神子様から、斯様な甘やかなお言葉が聞けるのは嬉しい限りで御座います。
そうですね・・・この近辺は神子様の方がお詳しいでしょうから、
私がお誘い出来る様な場所もなかなかないかと―――」
「そんな事ないよ。 銀と一緒ならどこでも・・・って ぁ・・・」
「ふふっ」
「誘導尋問反対!!」
二人賑やかに談笑していたら、ガラリと隣の家の窓が開いた音がした。
『遅くにうるせーぞ バカップル!』
そう言って、将臣はピシャリと窓を閉めた。
窓越しだったが、よく響く声に逆によそ様に聞こえたのではと、二人して苦笑するしかなかった。
++++++++++++++++++++++++++++++
珍しく銀からの誘いという事で、何時もよりも少し時間を掛けておめかしをしてみた。
髪もアップにしてみたり、横結びをしてみたりと何度も鏡の前で睨めっこをしていたら、
何度見ても同じもんは同じだと窓越しに声が聞こえてきたので、
ベッドサイドに置いてあったクッションを思い切り
隣の家の住人にクリーンヒットさせておいた。
「デリカシーっていう言葉知らないのかなっ 将臣君はっ!!」
結局 将臣の言葉も引っかかって、髪型は何時ものまま出かけた。
仕事終わりの待ち合わせという事で、望美は少し早めに待ち合わせ場所で佇んでいた。
何時もならば、自分が待たせる立場なのでこれも新鮮で、何だかそわそわとしてくる。
は、初めてのデートみたい・・・。 可笑しいところないよね・・・?
と、急に自分の格好が気になってくる。
以前、友達が初デートなのだと恥ずかしく語っていたのを思い出し、
今の自分が其れにピタリと当てはまって苦笑してしまった。
初めてじゃないのに、待ち合わせってこんなにドキドキするものだったのだと思いつつ・・・
そう思えば、平泉でも何時も一緒に出かけていたのに
何故こんなに違うのだろうかと不思議に思ってしまった。
あれこれと思考を巡らせていたら、
駅の改札口から直ぐに目に飛び込んでくる銀色の綺麗な髪に、顔が綻んだ。
銀も直ぐにこちらに気付き、珍しく今にも走り出しそうな勢いで歩いてくる。
何時もなら自分が走り出すのに。
自分も走り出したい衝動を何とか堪えて、珍しい光景を目に焼き付けたいと銀を見詰める。
そんな銀に、やはり道行く女性達は振り返り顔を赤らめてゆく。
やっぱり格好いいよなぁ。 羨ましいなと、良く判らない想いが心をかすめる。
自分は彼女なのに何故 羨ましいだなんて・・・と、思われるかもしれないが
本来であれば、隣に立つのもおこがましい様な容姿だと、自分自身 解っている。
そう思うと、あんな風に自分も綺麗なら良いのにとついつい思ってしまうのは仕方ない事だろう。
少し息を弾ませながら、銀は微笑んで望美の元へとやってきた。
「遅くなって申し訳有りません。 大分お待たせしてしまいましたか?」
その言葉に、ふるふると首を振って微笑み返した。
「お仕事お疲れ様、銀。 全然待ってないよ。 そんなに急がなくてもよかったのに」
「神子様を見付けてしまっては、早くお傍に行きたいと思ってしまいます」
「も、もう・・・」
公共の場で神子様と呼ばれるのもどうかと思うが、
何時もの口説かれているような言葉に赤面してしまう。
フッと気付くと、ジッと銀に見詰められ、何か可笑しいところがあっただろうかと眉根を寄せた。
あの・・・と、声を掛けようとしたら、銀が先に口を開いた。
「今日は何時もに益して麗しいですね」
その言葉にハッとした。 別にそんなにおめかしをした訳ではない。
それなのに、気付いて貰えるだなんて思っても見なくて驚いた。
「えっと・・・お世辞?」
失礼な言い方をしてるとは思ったが、真偽が気になってついこんな言葉を吐いてしまう。
「いいえ、今日の神子様の唇は一段と服に映えているように思えましたが・・・違いましたか?」
何時もはグロスだけなのだが、今日は少しだけ口紅も塗ってみたのだ。
後は何時も通りのメイクで、少し時間をかけてみた・・・というものだった。
その返答に益々望美は目を丸くして、銀を見入ってしまった。
この人って・・・本当に女性を喜ばせる事に長けてるんだろうなと、何故か納得してしまった。
「神子様・・・その様に見続けられておりますと、抱き締めたくなってしまいます」
「ふぁっ!? ご、ごめんっ」 悩ましげに言葉を告げられて、咄嗟に謝ってしまったが、
我に返って銀の言葉を反芻すると え?何で?とはてなマークが頭をかすめた。
かすめた後から顔が徐々に赤く染まっていった。
今、この人は大胆な事をさらりと言ったような・・・と。
この方は、ご自分の魅力を少しも判っていない・・・。
夏ではないにしても、今日は大分日差しが強い。
温暖化―――そんな言葉を、以前将臣が話していた気がする。
その為か、望美は薄手の装いだった。
透けるような白地に淡くピンクが入った柄のワンピースで、
頼りなく細い紐が肩口に掛けられ、その周りは綺麗に切取られた作りだった。
そして何時にも益して、誘われているのではと思うような紅の映える唇に、
あの蕩ける様な微笑みで自分を待ち焦がれられ、望美に気付いて近づいて行く最中、
通り過ぎて行く男達がちらりちらりと望美を振り返っていたのだった。
一緒に居て話している時は、まだ幼さも垣間見せるが、
一度〔ひとたび〕待ち合わせなどで一人佇ませておくと、急に大人びた表情を面に出す。
それは、今までの経験が物語っているのであろうが、
それがあまりにも 儚く美しく映り、人を魅了させる。
やはりあまりこの方を外で待たせてはいけないと、改めて思い返した銀だった。
+++++++++++++++++++++++++++++
「ここの公園?」
「はい」
其処はこの辺りでは珍しい、長細い作りの公園だった。其の為か、奥の方は少し薄暗く感じられる。
「こちらで御座いますよ」
そう言って、望美の手を優しく取り奥へと銀は歩んでゆく。
この時期 休日ともなれば、鎌倉駅周辺は人がごった返しているが、此処は人影がまばらだった。
薄暗い所を抜けて少し日差しが差し込んできた。
そう思っていたら、銀が不意に立ち止まった。
「こちらに・・・・・十六夜の君と来てみたかったのです」
何だろうと、少し先に垂れ下がる紫と白の綺麗な花に目が留まった。
「藤・・・棚?」
「はい」
頷きつつ、銀は望美をエスコートして藤棚の中へ進んでゆく。
公園なので、丁度その側にはベンチが設えてあった。
そこに二人は座り、途中で買ってきた食べ物を摘みながら、ノンビリと花見を楽しんでいた。
「本当に凄いね。こんなに沢山 綺麗に咲いてるのに、人が全く居ないなんて凄い穴場だね」
「そうですね。 他の場所よりも時期も少し遅いようですし、
地元の方以外、気付かれていないのかもしれませんね」
「勿体無いね。 こんなに綺麗なのに、見てくれる人が少ないだなんて。ちょっと可哀想」
花に可哀想と・・・そう云う望美を微笑ましく思い、彼ノ人を想い出す。
彼もまた、そのような人だったと・・・。
「ふふ ずっと住んでたけど、こんな素敵な場所を知らなかったなんて損だな。
銀が見つけてくれてよかったよ。 ありがとう」
「いいえ。 私も偶然見つけただけでしたので。
喜んで戴けたのならお連れした甲斐が御座いました」
「うん! とっても気に入ったよ。 もっとずっと前から知っていたらよかったけれど・・・
銀と一緒に見れただけでも大切な想い出になるね」
「・・・十六夜の君」
フッと疑問に思った。 そう言えば、先程から銀は自分を神子様ではなく、十六夜の君と呼んでいる。
そして、十六夜の君と来たかったと・・・
疑問をそのままに出来るはずも無く、望美は銀に尋ねた。
「あの・・・銀?」
「はい?」
「何でその・・・・・うーん・・・神子様じゃなくて、十六夜の君と来たかったの?」
一瞬 瞳を見開きゆっくりと瞬いたかと思ったら、顔を俯かせて銀は言葉を飲み込んだ。
「・・・・・・」
その表情を見たら、何か悪いことを云ってしまったのかと望美は焦った。
「あ・・、えっと、何か話したくないことだったら別に云わなくても良いよ?」
「いいえ 昔の事を、想い出しまして――――」
しかし銀は、頭を振って寂しそうに望美に微笑み返した。
そして銀は、かつての姫君との逢瀬を懐かしむように語りだした。
「あれは、六波羅に十六夜の君が舞い降りた時の事です。
十六夜の君が去り際に私の名を呼んでくださった・・・」
「うん・・・」
「十六夜の君が還られた直後、ある方が、私に声を掛けてきたのです」
その言葉にハッとした。
そうだ、聞こえた。 聞こえたからこそ、自分は銀の本当の真名を知ったのだ。
「どうかなさいましたか?」
望美の表情の変化に銀は声を掛けた。
「あ・・・えっと・・・」
しかし望美が言葉に窮していると、銀は察して目顔で制して話を続けた。
「誰かと言葉を交わしていたのかと、そう聞かれたので・・・悲しい言ノ葉を紡ぐ方と、と・・・。
そうしましたら、彼ノ人はこう言ノ葉を紡がれました。
墨俣より戻られましたら、藤の花も咲いている頃でしょう・・・と」
「それを・・・実現する為に?」
「えぇ・・・」
何だろうか、何処か寂しげに話す銀を見て、
その彼ノ人に、銀は想いを寄せているのだろうかと思う。
「彼ノ者が何方か気になりますか?」
「えっ?! そ、そんなこと・・・・・・ある・・・かも」
小首を傾げて望美に尋ねる銀は、
先程の表情とは打って変わって、望美を愛おしいように見詰ていて、
そんな彼に望美は鼓動が早まり声が上ずった。
「ふふっ 素直な貴女は本当に・・・可愛しく・・・恋しい―――」
何時もの茶化す様な物言いに、望美は講義の声を発しようとしたが、
銀の憂いた表情を見たら、口を挟む事が出来なくなった。
「惟盛殿ですよ」
「・・・・え」
―――惟盛さん・・・自分の中ではあまり良い印象はなかった。
言葉を交わそうとしても、下賤とは話せないと突っぱねられていた気がする。
「憶えておられますか? お話した事は・・・?」
矢継ぎ早に質問される内容に、望美は複雑な思いを持ちながら頷いた。
「う・・・うん・・・」
「あまり良い印象は持たれなかったでしょう」
「え? なん・・・で・・・」
銀の言葉に、顔を覗おうと面を上げたが、逆光で銀の表情を覗う事は出来なかった。
「惟盛殿も、死して復活された方です。
・・・以前とは全くと云っていい程、性格が歪められてしまいましたが。」
「重衡さん・・・」
「生前の惟盛殿は、虫をも殺せぬ御仁で御座いました」
「えぇ?! だ、だってそんな雰囲気全然!」
その言葉に思わず立ち上がって、銀の正面に望美は歩み寄った。
「そうでしょう。 私とて最初は驚き・・・哀しみました。」
寂しそうに眉根を寄せて、組んだ手に視線を落とす銀に胸が痛んだ。
「・・・っ」
「芸達者な方で、舞踊はそれは美しく舞われ、平家の光源氏とも謳われた方でした。
優雅という言葉がとても似合う方で、平家の中では私と話すことも多かったのです」
「そう・・・だったんだ・・」
ええ・・・と、銀は頷き 藤の花を寂しげに見上げた。
「戦は不向きだと、誰もが分かっておりました。
・・・しかし、そうも言っていられない状況にさらされ、惟盛殿は散っていったのです」
「重衡さんは・・・寂しかったんだね」
ポツリと漏らした望美の言葉に、銀は双眸を大きく見開いた。
「は・・・」
「私は平家の事を全く知らないし・・・
ましてや倒してきた相手なのに・・・こんな事云えた義理じゃないけれど」
自分のこれまでの道のりを思い出し、震える手を腕を握り締めて押さえ込みながら
必死に自分の想いを口に乗せて望美は喋った。
「時子さん、知盛・・・忠度さん・・・・
『生きている』人と会話が出来たのは数少なかったよね。
心休まる場所が・・・本心を打ち明けられる人が、減ってきて寂しかったよね」
銀はその言葉を聞いて、思わず外なのも構わず望美を腕の中に掻き抱いた。
「しげひらさ・・・っ!」
あぁ・・・自分は、そうだったのかと・・・
いつ何時 戦が起きても良いよう、神経を研ぎ澄ませていた。
そして、誰が何時死んでもおかしくは無かった。
あぁ、またか・・・と。
それは誰しもが、あの時は思っていたことであろう。
惟盛は甦った。 甦ったが、『本当の彼』はもう居ない。
それを悲しめる状況も、そこには存在しなかった。
だからこそ、気付く事などなかった。
親友の死が、哀しい事に――――
「―――ありがとうございます」
哀しんでよかったのだと・・・気付かせてくれた、この愛しい人に。
もっと寄り添って、お互いを分かち合えたら良いのにと、銀は想った。
「惟盛さんにも・・・この藤が届くと良いね」
「えぇ きっと見てくれていることでしょう――――」
今ようやく、あの時の想いが実現出来たのだと、誇らしく彼に伝えたい。
『今 私は、とても幸せでおります・・・と』
2015.07.06